ソーシャルメディアを対立軸で語ることの違和感

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Social Media Magazin
Social Media Magazin / some_communication

Facebook,Twitter,Google+などいわゆるソーシャルメディアに関して、
Google+の方が将来性がある、Facebookはリアルでのつながりがないとだめ、
Twitterの方が楽だなど、それぞれのいい点、悪い点を取り上げて、どちらの勝ち、負けで
終始している記事を見かける。

居心地の悪さを覚える。

こういうIT技術から離れたところでも、自分に必要な情報を取得し、
確実に毎日を送っている人々も存在する。
私の両親がそうだ。携帯電話を所有しているものの通話とメールのみの用途。
私の実家には、それ以外のネット環境もないし、PCすらない。
だが、何の不自由もなく暮らしている。
情報源はなにか?
ローカルのテレビ番組、ラジオ、そして、人との対話だ。
最新のソーシャルメディアなんてなくても全然問題ないのだ。

この話だけではないが、
個を持って全体を語ろうとすると、そうではない部分に気づいたとき
大きな違和感がある。

「今時の若者は、、、」という話になると、必ずステレオタイプ的に、
渋谷の若者の映像が流れる。日本の若者=渋谷の若者じゃないでしょ、って思う。
また、「若者の○○離れ」といった表現もまだまだよく見かける。

もちろん、私の両親もそういったITのメディアを使いこなせるようになれば、
新しい情報も得られるし、世界は広がるのかもしれない。
だけど、必要とはしていない。

僕らがソーシャルメディアで発言をしたり、WEBサービスを作るのは、
そのことによって、世の中、隣人に何か良い影響を与えることが
できないかと考え、よりより未来を期待して活動していると思っている。

だけど、あくまでも手段であり、ツールなのであって、
ツールを主体として世の中が分けられるみたいな見方、考え方には同調できない。
主体は個人で、ツールは、補完するための道具。
個人それぞれが自分にあったツールを選択していって、自分の生活を便利にしたり、
豊かにしていけばいいだけのことだと思っている。

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