2012年の金環食を見ながら考えた多様性について

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2012年5月21日朝。20年ほど前に、ドリカムの『時間旅行』の歌詞、「金環食」をそのとき一緒に口ずさんでいた女性とその人との間にできた2人の子どもと実際の金環食を見て思ったこと。

同じ時間、同じ太陽を同じ日本で見ているはずなのに、鹿児島、和歌山、大阪、名古屋、静岡で欠けている状況が違うし、川崎と隣の都内でさえ、雲のかかり具合で違って見えている。

ドリカムの曲を知っている私達と、そんなことを聞いても「ふ~ん」くらいにしか思わないうちの子ども。

同じものを見ているつもりでもどこを見ているか、どう見ているかというのは、個々のバックグラウンド、置かれている状況で全く違っているということ。

Eclipse 2005-10-03 / Miguel GR

話は、全く飛躍してしまうのだけれど、気にはなっていたのが、「虚構新聞」や「studygift」の騒動。

ある種のグループだったり、コミュニティだったり、内輪でやっている分には問題なかったとしても、それが想定外に広がって、思いもよらない反応が起こることがある。
スタート時は似たような考え方、賛同者が集まるし、その事情も知らない人とも接触は少ないため摩擦もあまりないのだけれど、何かの要因で外部へ広がるときには摩擦も生じてしまうこともある。

万人に受け入れられることを目指すか(多様性をある程度内含できるようにする)、一部の特定層をターゲットとするか。

二項対立などではなくて、どちらも正解なのだと思う。

だけど、商売として、WEBサービスを作ったり、商品開発していく上では、万人に受け入れられることを目指すか、一部のニッチな層・特定層をターゲットとしていくか、選択を迫られることはある。

起業なんかもそうかもしれない。どういう会社を目指していくか。

イマドキの若者と思うか、今年のうちの新人社員たちか、今、目の前にいる新入社員のキミとして付き合っていくか。
逆に、だから大人はと思うか、うちの会社はと思うか、今、目の前の上司として付き合うか。

ちょっと、話がずれてきてしまっているので、この辺にしておく。

多様性とどうやって向き合い、自分はどう対応していくか、自分の考え方と合わないならば、排除する・相手にしない・もっとよく知ろうと近寄ってみる・逆に合わないからこそ話を聞いてみる。
その選択も多様であるべきだと私個人は思っている。

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